[維新派] nostalgia 《彼》と旅をする20世紀三部作
松本雄吉インタビュー
季刊「エス」収録より抜粋 2/4
- ──『ナツノトビラ』のパンフレットで「体と言葉を解体する」とおっしゃってましたけど、体だけでなく言葉までバラバラにするというのは?
- 松本:動きや音楽が情景をサポートしてくれたり、色んな要素で芝居をわかりやすくしているので、しゃべる言葉が動きと全然違っても良いんじゃないかって。役者の体は単に借り物の一つとして、そこに色んなものを詰め込んで行こう、と。役者もその方が面白いはずですから。
今回も、今のところシーン5くらいまで出来てるんですけど、半分くらいはそんな感じです。まず動き自体バラバラで、出てくる言葉もバラバラやから役者は大変なんやけどね。
第一部は南米篇だからポルトガル語とスペイン語と日本語と、出来たらマヤ語もしゃべってみたいなぁ。実際聞いたことはないんやけど、資料はあるのでなんとか想像してやってみようかと思います。
- ──そもそも南米から始めようと思ったのはなぜですか?
- 松本:笠戸丸で日本人がブラジルに移民したのが一九〇八年。ちょうど二〇世紀の始まりに近い年に、日本人が大挙して初めてブラジルに行ったのが面白いな、と。当時の渡航規則みたいな資料がたくさん残ってるんですけれど日本語は絶対に使ったらあかんって書いてあるの。外人になりなさい、と。
- おそらく日本では食えなかった人達だから、洋服や帽子を身につけたのも初めてとちゃうかな。だからまず、そういう身体的な所の面白さがある。だって、どう考えても当時の日本人に帽子や背広や革靴は似合わんし、そういう人らがいっぱいいるだけで、すごいと感じてしまう。だから第一部の出発点として面白いんちゃうかな。で、行ったら行ったで、自分らより先に移住したポルトガル人の侵略者がおるしね。
- ──舞台を「二〇世紀」にしたのは?
- 松本:結局は「彼」から始まったこともあって、彼を何でモンスターにしたのかというと、僕は二〇世紀って人間が等身大以上にすごく拡大しすぎた世紀だと捉えているんです。例えば自分の傍に居ない人間と「電話」でしゃべったり出来るし、一九世紀の戦争だと肉弾戦だったのが、ボタン一つで「ミサイル」を飛ばして国を破壊できるわけやからね。それも「人間がそこまで大きくなっちゃった」という身体感だと思うんです。それと一つの記憶性と言うんですかね。二〇世紀の記憶は膨大な量が一人の人間の中に細胞として蓄積されている感じがする。「二〇世紀いうたら俺の体や」みたいな(笑)。だから実際こうして居る、触れられる、この体以上に二〇世紀が作り上げた記憶性というのは人間を大きくしてるんじゃないかなぁ。
- それで「彼」というモンスターには、その辺を託して大きくなってもらおうじゃないか、と。けれどあまり俯瞰的に見せずに、ある家族の話に絞ってやろうかと思っています。テオ・アンゲロプロスの映画が好きでずっと観てるんですけど、結局はある家族や、家族が離散する話なんですよ。よう考えると、それが二〇世紀ってことなんやなぁと納得出来る。例えば日本でも明治時代に生まれて今も生きている人がいるとして、その人が沖縄出身で東京のマンションで暮らしているというだけでストーリーが出来ちゃう。サトウキビ畑しかなかったのが六本木で毎晩飲んでるとかね。だからある種、等身大な所から入って、お客さんに解釈を委ねるような感じでやっていこうと思ってます。